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ベトナムの傷跡

引き続き、 ベトナム日記です。


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朝ごはんは、ホテルでフォーを食べて腹ごしらえ。

朝から?と思うかもしれませんが
スープも、麺も、とてもあっさりしていて、注文後すぐ出て来るので
日本の立ち食い蕎麦のような感覚です。

ベトナム人の子供達が朝ご飯に
屋台でフォーを食べている姿も見かけました。


ベトナムは前回書いている通り、良い印象がないけれど、
とにかくご飯だけはどこで食べても美味しくて、ハズレがなかった。
フォーは、屋台でもレストランでも、
どこでも全部おいしくて何回も食べました。



朝早くから開いている、ホーチミン市内にある戦争証跡博物館へ

入ってすぐに、戦機がたくさん並べられています。

観光客や子供が戦機と一緒に記念撮影をしているのを見ると
平和になったんだな。と思いました。

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日本の太平洋戦争でも使われていた雷撃機、爆撃機も何台かありました。
この戦記はいったい何千人、何万人を殺したんだろう。と思った。

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ショーケースに入れられるわけもなく
ざっと置かれている爆弾の数々。エネルギーが恐ろしくて近づけない。

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日本語がかかれている「アメリカはベトナムから手をひけ」

博物館の施設内にある写真のブースはすごかったです。
モザイクなしにこんな姿?と吐き気するような写真がたくさんありましたが
事実が見れてよかったです、観に行ってよかった。


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タンソンニャット国際空港。首都であるハノイへ北上します。


手前の男性はココナッツジュースを飲んでいます。
タイとベトナムはココナッツジュースが普通の売店で
売られています。こういうところが南国だな、と思う。


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商品が少なくて、なんというんだろう、閑散とした寂しい感じ。
タイと同じような活気も笑顔もない。

空港はその国を表すというけれど、これが社会主義の雰囲気なんだ。と
なんとなく思いました。空港だけでなくベトナム全体が、そんな感じ。


飛行機を待っている間、売店でベトナムのスイーツ、チェーを注文。

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最初頼んだとき、なんだ!この色彩は?食べれんのか?
とか思ったけど、日本人なら好きな味かと思います。

チェーはぜんざいのベトナム版のようなもの。
ぜんざいやゼリー、かちわり氷がのっていて涼しげです。


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飛行機乗り場がないので、歩いて自分で乗りに行きます。



ホーチミンからハノイまで、飛行機で1時間40分乗ります。
こんな短いフライトなのに離陸後20分くらいで出て来た機内食。

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漬け物、白米、ベトナム風な肉炒め。
ベトナムの機内食、普通においしい。なんでこんなに旨いのか。
ベトナムってご飯は全部おいしい。と確信。




離陸前、窓から見えた風景。

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なんだろうあれは?と思って見ていたら
「あれは元米空軍の防空壕だよ。」と、隣に座っていた
アメリカ人のおじいさんが教えてくれました。

その男性のお父さんはベトナム戦争で関わった兵士だったそうで
男性は戦争のことを知りたくてベトナムに観光しているそう。
戦争の跡地として興味を持ち、来るアメリカ人は結構多いそうですね。


後で調べたら、タンソンニャット国際空港は、

植民地時代に、フランスにより創立され、
ベトナム戦争中、アメリカ軍により拡張され、
重要な米軍施設として使われていたそうです。


ベトナム戦争が終わってまだ37年。
こうやってまだ防空壕がたくさん残されている姿は
遠くからでもとても生々しかったです。

青い澄んだ空の下、この場所で死と向き合った人たちが
たくさんいたんだな、と、思いました。


ベトナム戦争で亡くなった米軍兵士は約5万8千人。
アメリカ人であるポーは
「あの時のアメリカはバカだよ」と、言っていたのが印象的でした。


太平洋戦争のことは結構本を読んだりしましたが、
ベトナム戦争のことはあまり詳しく知らない私。勉強したいです。
もっと知らなきゃ行けないことがたくさんあるな、と思います。





最後に話が少しずれますが…


私が、太平洋戦争系の本に夢中だった時期があって
当時の日本人の気持ちに入ってしまった時

隣にいる全然関係のないポーが
「当時の日本軍はアメリカ国土の広さを知らなすぎたよね」とか
言った時、かなりイラっとしました。


私でこういう気持ちになるくらいですから
当時、戦争を実際に経験されている年配の方には
言葉を気をつけて、接しなくてはいけないし、
戦時中に、日本が他国にした、ひどい事実が知る必要がある、と思います。


中国の雲南省近辺に留学していた友人が言っていましたが
知識や歴史を知らない若いバックパッカーが、
日本に敵意を持っている場所へずかずか行ってしまい
嫌な目、危ない目にあったりすることは今でもよくあるそうです。
その友人も、暮らしていて「私は韓国人です。」と
偽らなくてはならない状況も何度もあったそう。







さて、次回はハノイの旅行記を書きます。
by picnic_marin | 2012-07-22 00:05 | 2011 ベトナム・タイ | Comments(0)

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