まりんの世界手帖
2023-08-24T12:06:24+09:00
picnic_marin
日々の暮らしの事
Excite Blog
骨折日記・はじめに
http://marin624.exblog.jp/30998177/
2022-11-14T22:13:00+09:00
2023-08-24T12:06:24+09:00
2020-01-06T17:24:40+09:00
picnic_marin
2019-2022 骨折日記
このページでは、事故当日〜現在までの経過を一覧でまとめまています。
※医療用語集、病院の説明が一番下あり
〜急性期病院〜
2019年(37歳)
12月3日 台湾旅行 を終えて、羽田空港からバイクで帰宅中に転倒しガードレールに突っ込む(単独事故)。急性期※病院Kへ緊急搬送され即入院、同日中に髄内釘挿入手術※
事故当日(前編)
事故当日(後編)
手術について
損傷箇所
・左脛骨・腓骨(スネ)を開放骨折※
・左大腿骨頸部(股関節)を単純骨折
・軽度の脊髄損傷
12月4日 骨折後1日目
12月5日 骨折後2日目 脛骨腓骨の2回目の手術台に乗る時に私が痛がってる様子を見て、左大腿骨頸部(股関節辺り)も骨折していることが判明、急遽追加手術でハンソンピン固定
12月6日 骨折後3日目
12月7日 骨折後4日目
12月8日 骨折後5日目
12月9日 骨折後6日目 脛骨腓骨の3回目の洗う手術
12月10日 外傷の経過記録(観覧注意)
12月12日 骨折後9日目 脛骨腓骨の4回目の手術でやっと皮膚を閉じる
12月14日 骨折後11日目 導尿カテーテル抜去、離床※
12月16日 ドレーン※抜去、車椅子自立
12月17日 骨折後14日目 転院の話がでる
12月18日 骨折後15日目 松葉杖の練習開始、シャワー可
12月23日 抜糸
入院生活について
病院食について
第二章
〜回復期リハビリ病院〜
12月24日 骨折後21日目
急性期病院Kから、回復期病院Yへ転院
12月27日 骨折後24日目
1/3荷重開始、松葉杖自立
入院友達の木村さん
12月31日-1月1日 一時帰宅、猫に再開
一時外泊
一時外泊2
2020年
1月4日 この骨折日記スタート
リハビリの内容
リハビリ病院で泣きたかった事
1月15日 骨折後1ヶ月と12日目 PTB免荷装具練習開始
1月17日 PTB免荷装具+ロフスト杖歩行可能
1月19日 骨折後1ヶ月と16日目
大腿骨頸部が萎縮(大腿骨変形治癒骨折)、飛び出たハンソンピンが大腿筋膜張筋と擦れ激痛
1月24日 骨折後1ヶ月と21日目
主治医と回復期病院の医師と診察
1月27日 1/3免荷から全免荷に戻る
2月7日 退院
第三章
〜治らない…辛い時期〜
退院後の生活について(前編) 退院後の生活について(後編)
2月13日 脛骨腓骨は全荷重、大腿骨は全免荷、家では片足ケンケン、外出時は両松葉杖
2月27日 大腿骨は癒合なし
5月3日 骨折後6ヶ月目
7月30日 人工股関節の話が出る、脚長差2cm
8月23日 骨折折後9ヶ月目
9月3日 友達に松葉杖を教える
9月23日 外反骨切り手術が決定
第三章
〜大腿骨、再手術〜
10月27日 M病院へ入院 今日から再入院
10月28日 手術について
大腿骨変形治癒骨折矯正手術・外反骨切り術
10月30日 長い傷跡
離床、松葉杖でトイレ自立
11月3日 骨折後11ヶ月目11月4日 骨折プロによる「入院時必要な物」
11月7日 手術後のレントゲン写真
11月13日 2回目の入院から16日で退院
12月3日 骨折から一年間経過12月6日 これから松葉杖の方へ
12月9日 1/3荷重※開始
12月23日 2/3荷重開始
2021年
1月6日 全荷重※開始
3月1日 飲食業は諦めて在宅勤務可のIT会社へ就職
5月22日 骨折後1年6ヶ月目
30分以上歩行の際はロフスト杖※使用
第四章
〜抜釘手術〜
11月9日 M病院入院 骨折後1年11ヶ月目
11月10日 抜釘手術
(大腿骨頸部骨折偽関節術後、脛骨腓骨開放骨折髄内釘挿入手術後)
11月11日 抜釘手術って痛い
離床、車椅子でトイレ自立
11月13日 抜釘手術について
両松葉杖自立
11月15日 退院
11月18日 抜釘手術から一週間
12月10日 抜釘手術から1ヶ月
2022年
2月26日〜6月1日
整形外科病院Hに週一でリハビリ通院
ロフスト杖または両松葉杖
6月8日 大腿骨壊死が判明 (外傷性大腿骨頭壊死)脚長差4.5cm
H病院でのリハビリは中止(骨折後2年6ヶ月目)
第五章
〜人工股関節専門の病院へセカンドピニオン〜
8月5日 セカンドピニオン 整形外科F病院へ診察
9月3日 骨折仲間と激励会
9月4日 F病院入院
9月5日 手術当日
9月6日 離床、尿道カテーテル、点滴抜去、松葉杖自立
9月7日 片松葉で歩ける
振り返って思うこと色々
人工股関節手術について
9月10日 杖なし歩行が可能になる
9月11日 退院
9月19日 退院後どれだけ動けるか
10月1日 手術後2週〜3週間目(骨折から2年10ヶ月目)
10月8日 杖なしで外出し始める
10月30日 杖なしで早歩き可能
11月1日 一泊二日の旅行
11月14日 杖はもう使っていない
12月3日 事故から丸3年経過
2023年
8月20日 健常者と変わらない生活
後遺障害として
脚長差有り、一日中立ち仕事は不可能、くるぶし痺れなど
入院した病院(病院F以外は全て都内)
病院K = 最初に緊急搬送された急性期大学病院(主治医常勤の病院)
病院Y = 回復期リハビリテーション病院(主治医の非常勤病院)
病院M = 総合病院、骨切り、抜釘で2回入院(主治医の非常勤病院)
病院F = 人工関節手術を得意とした整形外科病院(千葉)
外来のみ
病院H = 整形外科病院(リハビリのみ)
用語説明
急性期 = 病気が発症し急激に健康が失われ不健康となった状態、発症後おおよそ14日間以内が急性期の目安とされています、重症患者の治療を24時間体制で行なう病院のことを指す
回復期 = 病状が安定しはじめた発症・術後から1〜2ヶ月後の状態を言い、回復期に集中的なリハビリテーションを行う
髄内釘挿入手術 = 隋内(骨の中)は空洞になっており、そこにチタンの棒を入れて固定する手術方法
開放骨折 = 骨折した骨の端が内部から皮膚を破って外に出ている複雑骨折の一種
導尿カテーテル = 尿を排出させるためのチューブ
ドレーン = 体腔内に溜まった水分、血液、リンパ液、膿瘍などを体外に排出するための管と機械
PTB免荷装具 = 下腿や足部に荷重をかけないようにする装具(日記内でも説明)
ロフストランド杖 = 安定度の高い杖
骨癒合 = 骨がくっつく事
全免荷 = 足に体重を一切かけない
全荷重 = 足に体重を全部かけて大丈夫
※骨折日記で自分のことを「若い患者は」と何度も書いてますが、病院って80代前後の方がほとんどなのでそれに比べたら若いと書いてます!病院内では「まだ若いから大丈夫」と何回も言われる。入院あるある(笑)
]]>
人工股関節手術後2週〜4週目
http://marin624.exblog.jp/32843258/
2022-10-03T01:42:00+09:00
2022-10-03T18:34:30+09:00
2022-10-03T01:22:47+09:00
picnic_marin
2019-2022 骨折日記
はじめて読む方は「骨折日記はじめに」からどうぞ。骨折患者の方、どうぞお気軽にコメントください。
人工股関節手術後2週間を過ぎると、ある程度自由に歩けるようになり、一気に行動範囲が広がります。
まだ外出時のロフスト杖は欠かせませんが、もうそろそろ外さないといけないかな、という感じ。
骨折日記というか、ただの飲兵衛日記ですがこんなに動けるようになります。
手術後16日後(退院から10日め)
会社に出勤後、四谷三丁目の焼肉屋へ。
乗り換えはなかなかハードだったが「15分以上歩き続けないこと」はしっかり守りつつ歩いた。
退院後はじめての呑み会で女4人わいわい騒いて楽しかった。
精神的な満足って、身体とリンクしていてほんとに元気になれた気がする
杖は入り口に置いて、店内では普通に歩いた。
手術後17日目
在宅勤務後、神田で友達と呑んでから、新橋のフォークソング酒場に行った。
(中学生の頃からフォークや昭和歌謡が好きなんです)
マスターや常連さんが演奏をしてくれ、ボーカル気分で唄うこともできて、下手でも大丈夫って優しい雰囲気なので、なごり雪を唄わせてもらった。
私の歩き方を見たママが「股関節、悪いの?」と声をかけてくれた。
ママも股関節が痛くて辛いそうで、なんとF病院で人工股関節の手術を検討中だという。
彼女はお店をやっているし、もっと元気な人生になってほしいと思った。
手術後18日目
3連休初日。
連日呑み過ぎたのと台風なので、家で大人しくする。
脚はさすがに筋肉痛だが、深いところは痛くない感じ。それより二日酔いで頭が痛い。
階段の登り降りが必要なゴミ捨て、家の目の前にあるコンビニに行くのも、ロフスト杖なしで手ぶらで行ける。
これはすごい変化だ。
トム3歳。寒くなってきたからふわふわ。丸まってて可愛い。
手術後19日目
先日行ったフォーク酒場の周年ライブがあり、大塚まで一人で行ってみた。
ライブなんて何年ぶりだろ。
常連さん達がそれぞれバンドを組んで、昼から夜までいろんなグループが演奏をしていた。
みんな本当にギターが上手で、羨ましかったな。
手術後20日目
三連休最終日は、部屋の掃除を念入りにしたり、スーパーへ買い物に行ったり。
床を水拭きしたいが、術後3週間めまでは床を拭く動作はNGと言われているので、できなくて歯痒い。
ガス台の横で食べる、なんとも雑な焼肉。
手術後3週間め(22日目)
いよいよ手術してから、3週間が経った。
この日から最寄駅まで電動自転車に乗り始めた。
四谷三丁目で「パラパラ漫画展」に途中寄ってから、千葉のF病院へ診察に。
結構歩いたので疲れたが、美術館とかこういう小さな展示にずーっと行きたかった。
自分の好きな場所に自由に行けるってこんなにも嬉しいんだって改めて思う。
診察では、レントゲンを撮ってすべて順調とのこと。
私は動き過ぎてしまうのと、身体で痛みを感じたかったので痛み止めは全く呑まなかったと医師に伝える。
「すごい良いと思います。」と言われ、意外だった。
PTからは、歩き方の指導を受ける。荷重を何回もかけるリハビリは辛かった。
手術後23日目
会社へ出勤。
週1回の出勤だったのが週2回になったし、なんだかんだ毎日外出している。
そのせいか少しずつだが、脚に筋肉が戻ってきた気が。
しかし、前日のリハビリで結構無理をしたからか、代償動作で腰が痛い。うーんPTが合っていない気が。
黒パンにしめ鯖のディップ、トマトサラダ、ナスのナムル、鯛のごま黄身和え、ビール
手術後25日目
会社の健康診断へ。
はじめてバリウムを飲んで胃の検査をしたのだが、これはかなりキツい。何が辛いって体勢が。
硬い台の上で「3回まわってください」とか何回も言われ、術後の傷跡がけっこう痛いし、これはもっと後に予約すべきだったと後悔…。
「孤独のグルメ」の見過ぎて勇気が沸いたのか、長い間憧れていた一人焼肉をこの日、ついに達成!
自分の好みの部位だけを、好きな焼き具合で好きなペースで焼ける…。本当に最高だった。
どんどん一人で楽しい時間を過ごせるようになっていく中年である(笑)
ロース、ハツ、コムタンスープ、白米、ウーロン茶。あと白センマイ刺も食べた。
手術後4週目
週末、吉祥寺の美容院に行ってから、昼過ぎから高円寺の大衆居酒屋を巡る。
友達にはだいぶ歩き方が安定してきたね、と言われた。
呑み屋に杖を忘れそうになったり、なくても歩けるけど、やっぱり怖くて杖はかかせない。
この期間で変わった身体の変化
・家の中で家具をつたいながら歩いていたのが、何もつかまらないで歩ける
・自転車に乗る時、ペダルに足をちょうどいい位置に乗せるのに前は苦労していたのが、すんなり乗せられるように
・お風呂に出入りする時のスムーズさが全然違う
・ベッドに脚をのせる時や寝返りは、以前は手で持って移動させていたが、自力で動かせるようになった
・寝ている際、痛みで起きることがなくなった
・電車の乗り換えの時、エレベーターが遠かったら、階段を使うようになる
・階段の下りはどんどんスムーズになってきた、上りはまだまだきつい
また書きます〜
前の日記「退院後どれだけ動けるか?」
]]>
退院後どれだけ動けるか?
http://marin624.exblog.jp/32805657/
2022-09-19T20:14:00+09:00
2022-10-03T18:32:47+09:00
2022-09-11T09:31:53+09:00
picnic_marin
2019-2022 骨折日記
はじめて読む方は「骨折日記はじめに」からどうぞ。骨折患者の方、どうぞお気軽にコメントください。
前の日記「人工股関節手術について」
手術後1週間で職場に戻れるのか心配だったけど、大丈夫でした。
中年一人暮らしの映えない食事日記ですが、笑
術後でもこんなに動けるんだ!という希望になればと書きました。
手術後6日目(退院日)
両親が車で迎えにきてくれた。
昼食を食べてから、大きなスーパーへ。杖なしで歩いてみるが、途中から足が痛くなり、片松葉杖を車から持ってきてもらった。
そして東京のアパートまで車で送ってもらい帰宅。
猫と再会を果たし、のろのろ荷解きして、ロフスト杖で15分歩いて床屋へ(顔剃りが好きなの)
その後、入院中ずーっと食べたかった青魚を立ち食い寿司で食べ、22時就寝(病院生活が染み付いてる)
あじ、いわし、シメサバ
手術後7日目(月)
この日からさっそく仕事復帰。在宅勤務。
1週間も休むと頭がボケっとしていたが、すぐに慣れた。
痛み止め飲まなかったらどんな感じかなー?と試してみた。ただ座ってるだけでもなかなか痛い。太ももの外側の筋肉痛の痛み。
仕事後、スーパーまで15分歩いて、座って休憩してから買い物して帰宅。ぐったり。
スーパーの惣菜。サンマだけ自分で焼いた。偉い。
手術後8日目(火)
オフィスへ出勤。
上司に心配されたが、オフピーク出勤でなんとか。
私のアパートはエレベーターなしの3階建て。2分歩いてでバス停、乗換えで4分歩いて電車へ。会社の最寄り駅から7分歩いてオフィス到着。
意外にもロフスト杖で全然大丈夫だった。一応保冷剤で患部をアイシング。
この日はさすがに痛み止めを飲んだ。
仕事中、意識が集中するからか、患部は全然痛くなくて驚く。ある意味怖いと思った。
会社を出た途端に身体がどっと重くなり「もー、夕飯とか作るのむり…」と思って、帰り道に外食。
リハビリは夜だけやってすぐに就寝。
ひとり焼肉定番の焼肉ライク!タンは驚きの薄さ!
手術後9日目(水)
在宅勤務。前日に通勤で結構歩いたからか筋肉痛のような突っ張る痛みが。
在宅だとほんとに動かないし、足は下ろしっぱなしだし身体に良くないなぁ、と思う。
夜に郵便ポストまでロフスト杖なしで5分程度歩いてみたが、スタスタは歩けない。階段登るのが辛かった。
家にあったもので作った適当昼飯。味噌汁を作っただけ偉い。
手術後10日目(木)
在宅勤務。
痛み止めを飲むと、全く痛くなくなってしまうので、どっかへ遊びに出かけたい気持ちになってしまう。
待て待て!3週間はじっとしてろとあれだけPTに言われたではないかと思い、やっぱり痛み止めをストップして痛みを味わう。
夜、15分歩いてスーパーへ。買い物で疲れて魚焼くだけの夕飯。
大好きなメヒカリの塩焼き、サーモンマリネ、白ワイン。
手術後10日目(金)
朝、ゴミ出しする時に杖なしで行けた。両手使えるって便利だなぁ!と感動する。こういったふとした日常動作にけっこう変化があった時、すごく嬉しい。
今日も在宅勤務。締め切りがあるような集中した仕事をしていたからか、痛み止めなくても痛くなかった。
夜スーパーへ。痛くなった時に怖いので、ロフスト杖は必ず持っていく。
茄子と豚肉とレタスの花山椒和え、卵かけ素麺、ビール。
手術後11日目(土)
3連休。15分以上歩くなと言われているし、ここぞとばかりに自宅療養でだらだらする。
湯船につかったり、セルフマッサージをしたりゆっくり。
ジェノバソースでサーモンと冷たいパスタ。
手術後12日目(日)
昼過ぎまで寝て、Netflixのドラマを見たり、ほんとうにダラダラする。
この日からわかりやすく一気に痛みがなくなった。
痛み止めは飲んでないのに、なんか筋肉痛があるなぁーってくらい。
人工関節が馴染んできたような気がする。
手術後13日目(月・祝)
台風の合間を見て、20分ロフスト杖付きで歩いてケンタッキーとワインを買いに行った。
筋肉の疲労はあるけど、手術前と違う痛みだ。
前は芯が壊れそうな痛み。縮まないか怖くて体重も載せられない感じ。今は根がガッチリしている感じだ。
ずっと食べたかったケンタッキー。自然派ワインと。身体に良いのか悪いのか。
まとめ
家の中の動作 → 床拭きなど屈まない動作なら全然できる
階段 → 健常者のような登り方は無理、一段づつ両足ついていく歩き方なら可能
買い物 → 15分くらいのエリアなら行ける、人が多い街とかに出る勇気はない感じ
外出時だけロフスト杖は常に持ってた。
私は在宅勤務中心なのであんま歩いていないからなんとも言えないが、日に日に確実に良くなっていってる感じだ。
痛み止めは飲んだほうが楽なのは知ってるが、私は身体で素直に感じたいからあんまり飲まなかった。
(皆さんは普通に痛み止め飲んでください笑)
安静にしてと言われた3週間を終えたら、水泳行ったり、自転車乗ったり、リハビリ通ったり、ゆっくり筋肉を鍛えていこうと思う。
次の日記「人工股関節手術後2〜4週目」
]]>
人工股関節手術について
http://marin624.exblog.jp/32803668/
2022-09-10T21:59:00+09:00
2022-09-20T21:48:45+09:00
2022-09-08T20:16:48+09:00
picnic_marin
2019-2022 骨折日記
はじめて読む方は「骨折日記はじめに」からどうぞ。骨折患者の方、どうぞお気軽にコメントください。
前の日記「振り返って思うこと色々」
今までの治療で、医者やPT、患者さんから聞いた話などを参考に、情報をまとめてみました。
人工股関節が絶対ではないが
ここ数年で一気に人工関節の精度が上がってきて、今は大腿骨骨折の治療方法の過渡期なのだそう。
私の日記を読むと「やっぱり人工股関節が一番なんだな。」と思ってしまうかもしれない。それはあくまで私の場合であって、骨切り術、ハンソンピン固定、が悪いと言いたいわけではない。
今の病院では、21歳なのに人工股関節にした人もいれば、80歳なのにピン固定にした人もいる。
骨折の度合い、年齢、ライフスタイルによって人それぞれ。
でも、人工股関節にした人を身近で何人も会って、全員がやってよかったと言っているので、やはり良いんだと思う。
入院期間はたった6日間
今入院している病院は人工関節を得意とする病院で、2021年の一年間の人工股関節手術件数が1,137件もあるような病院だ。
まず入院期間が、基本は6日間(術後4日間)と聞いて驚いた。
前の大学病院では14日間と言われていたので、半分で大丈夫なのかと思った。
私の年齢だからではなく、同室の他の年齢層の人たちも、みんな一週間で退院していくので、入れ替わり立ち替わりといった感じだ。
50〜80代の方々、4人と話す機会があったが、みんなほんとに早い回復力だった。
全員が手術翌日で離床し、歩行器か杖で歩いてる。50代の方は1日早く退院していた。
やはり筋肉を切らない前方進入法という技術がすごいんだな、と感じた。
前方進入法って?(DAA)
約10cmの皮膚切開で進入し、筋肉を切離することなく人工股関節を設置する、侵襲の少ない手術方法。(最小の傷で済ませる手術方法をMISと呼ぶ)
鶏のささみでイメージしてもらうとわかりやすい。
長いささみの束が大腿骨の周りを覆っているとイメージしてみて欲しい。
ささみ達をかき分けて骨の部分まで辿り着き、ささみを切らないように骨だけを切断し、人工関節に入れ替える。
ちなみに私のように過去に何度も開いている人は、ささみ同士がくっついてベタベタしてたり、血管が予想外の場所にあったり、外科医からすると非常に手術がしづらいそうだ。(主治医から聞いた)
それにしても、短い傷口から筋肉を傷付けずに骨切ったり、人工関節入れたり、どうやってるのだろう?すごい技術だなと思う。
※このイラストだと後ろっぽく書いちゃったが、実際はもっと股側を切る(文末の写真参照)
進入法のメリット
術後すぐに筋力が回復する
脱臼のリスクが低い
術後の痛みが少ない
全身麻酔のリスクが低いことなど
傷口を見ると「え?縫い目がない?」と思い医師に聞いてみた。
皮膚下の筋膜(筋肉を覆う膜)でしっかり縫っているので皮膚同士は縫わずに自然にくっつくようにしているとのこと。
なんかすごいなそれ…と思った。
※この日記の一番最後に傷口の写真を載せてあるので参考にどうぞ
術後3週間だけ安静にする
脱臼予防のため手術後3週間は、正座、しゃがみこみ、自転車、背伸び、は控える必要がある。
でもよっぽどの大きな動作をしない限り、脱臼はほぼないとのこと。
あと、手術後3週間は歩き続けるのは15分を目安にやめましょう、とも言われた。
術後3週以降は、姿勢や動作の制限は一切なく、スポーツ復帰も奨励されており、術後スポーツ復帰率は90%以上なんだとか。
人工股関節が緩む場合も少ないがある
まだ若いのに人工関節にしなくても良いと言われる理由のひとつ。
骨頭と受け皿の部分が摩擦が起こる時、細かな粉が出る。その粉は異物なので、身体の中のT細胞が食べてくれるそう。
しかしその異物と一緒に隋内の骨も食べてしまうことが稀にあるらしく、そう言った理由から隋内で固定されていた人工関節がゆるくなることもある。
怖がらせるわけではないが、稀にこんなケースもあると聞いた。
でも、ほとんどの方が骨と一体化するとのことなのでご安心ください。
営利目的で人工関節を勧める病院もある
人工股関節手術は医療行為の点数が高いので、病院の営利目的で、軽度の股関節痛や骨折なのに勧めてくる方針の病院もある。
前方進入法も、世の中には単に傷を短くしただけで、皮膚の下の筋肉、軟部組織は従来通り切離するような、みせかけの前方進入法をうたっている施設も実際にあるそう。
繰り返しになるが、自分の身体のことなので何人かの医師の意見を聞いて、この先生は信頼できるな、この病院の方針なら納得できるな。と自分で判断する必要があると私は思う。
人工股関節で2ヶ月入院させる病院にはびっくり
以前私が入院していた回復期病院で同室だったマダムは、人工股関節の術後、2ヶ月間も入院してた。
そのマダムは70代で、疾患もなく出産以外で入院したこともない健康な人だ。
スタスタ歩いていて、明らかに病院にいなくても良い。なぜ入院してるんだろう?高度機能障害なのかな?と確認したけど違う。
今、私がいる病院は80代でも6日間で退院し、みんな元の生活に戻っていくのに2ヶ月って何?
そんなことしてたら元気な人までボケてしまうよ!今考えても信じられない医療方針だと思う。
ちなみにその病院、人工股関節の患者さん、マダム以外もたくさんいたな。
先のことはわからないけど
少し前までは20年しか保たないと言われた人工股関節、今は30年以上の耐久性は確実で、一生そのまま保つ可能性も十分あるらしい。
私は今、39歳なので、70歳の時に大腿骨がどうなっているか?骨頭だけ入れ替えて済めばよいと聞いているが、正直その時になってみないと、先のことまでわからない。
でも、一歩一歩踏みしめる度に痛い、寝ている時も痛い。ずーっと痛かった日々。
それの痛みからの開放、両手を空けて普通に歩けることの自由をとりあえず今手に入れて、すごく嬉しい。
明日、退院です。
今回の人工股関節手術の章を読んでくださった方、ありがとうございました。また報告しますね!
次の日記「退院後これだけ動ける」
※最後に、前方進入法で切った傷跡の写真をのせています。傷とかダメな方はご注意ください。
↓
↓
術後5日目、タオル側が股側だ。
皮膚部分は縫っていないのがわかる。皮膚下の筋膜でしっかり縫っているらしい。すごい。
左に残っている手術跡は、ピン固定、骨切り術、抜釘の際に開いたもの。
「今回も同じ傷口からできないか?」一応医師に聞いてみたが、軟部組織の場所などいろんな原因からできないらしい。
膝下もいくつも手術跡があるので、もう気にしないけど、また一つ増えたのね…という感じだ。
PT=理学療法士、国家資格を持った動作の専門家
]]>
振り返って思うこと色々
http://marin624.exblog.jp/32803464/
2022-09-09T17:38:00+09:00
2022-09-20T22:10:02+09:00
2022-09-08T16:17:07+09:00
picnic_marin
2019-2022 骨折日記
はじめて読む方は「骨折日記はじめに」からどうぞ。骨折患者の方、どうぞお気軽にコメントください。
前の日記「人工股関節手術当日から2日めまで」
今日は長い闘病生活の中で感じた事、愚痴、後悔をつらつら書いてみました。
複数箇所を骨折すると忘れられがち?
まず、事故当日を振り返る。
私は以下3箇所に問題があった。
①腓骨脛骨(スネ) ②脊髄損傷(首) ③大腿骨(股関節)
①腓骨脛骨は開放骨折※で感染リスクが高く最悪の場合は脚切断になっていた。
②脊髄損傷は全身麻痺になりかねないもっとやばい箇所。
一番最初のレントゲンでは大腿骨骨折は発見されず、腓骨脛骨の2回目の手術台に移る際、私が痛がって叫んだことで「え?もしかして大腿骨、折れてる?」と気付いてもらえ、それで急遽、追加の手術になった。
…あれもこれも大きな問題があった患者だったから③大腿骨は忘れられても仕方がなかったのかな?と。
回復期リハビリ病院では、
腓骨脛骨を守るPTB免荷装具はつけたけど、大腿骨は忘れられていて変形骨折したっけ(涙)
荷重制限が主治医からリハビリ病院への伝達が忘れていたせいだった。
結局、大腿骨の治療は一番長引いて3年もかかってしまったのだ。
複数箇所を骨折した方、私と同じような方いるだろうか?
病院に任せでなく自分の頭で考える
…てなことを振り返ってみれば、私が医療に対する知識が無いにしても、もっと自分から
「本当にこれで大丈夫なんですか?痛いんですけど」など、疑問に思ってPT※や医師にもっと確認すべきだった。
自分の身体のことなのだから、周りに任せっきりではだめだ。
主治医に今後の方針を聞いた上で、早い段階でセカンドピニオン、サードピニオンへ行き
「先生ならこの骨折度合いを見てどう思いますか?」意見だけでも聞いてみるべきだった。
前の主治医は救急の整形外科の専門医なので、命を救うための対応はできても(それだけで本当に素晴らしい)今の大腿骨専門の医師ほど、骨折の症例を見てきたわけではないから、壊死するかまでは判断できなかったのだと思う。
なので、決して前の主治医を恨んだりはしない。
事故直後、開放骨折のリスクである感染症から、適切な処置によって命をすくってくれた。
脚も切断せずに済み、皮膚移植の話もでていたのに、綺麗に縫ってくれた。本当に感謝している。
病院は患者の希望をとても大事にする
病院側は患者の希望があれば、考慮してくれる事をご存知だろうか?
例えば入院中だと
「この点滴いつ取れるんですか?」と看護師に言ったらあっさり取れたこともあった。
「この痛み止め、もう痛くないから飲まなくてもいいと思いますがどうですか?」と聞いたら次から無しになったり。
もちろん命に関わることなので、ダメな時はダメだと言われるが、聞いてみるのは別に悪いことではない。知らないのだから。
言ったことで、点滴の痛み止めが錠剤に変わったり、色々変えられる事はしてくれるかもしれない。
看護師も忙しいので節度は大事だが、医療機関のみなさんは、いつだって我々の質問に丁寧に答えてくれる。
今のは入院中での話だが、方針についても患者は希望してもいいわけだ。
以下のことはなんで希望しなかったのだろう?と後悔してること。
自分に合わない病院は、転院しても良い
最初の急性期病院Kからリハビリ病院Yへ転院する際(急性期は2週間しか居られなかった)、ケアマネージャーに転院先はどこにするか聞かれた。
何もわからない私は「どこでもいいです」と言ってしまった。
勧められるがまま、80代以上を基準とした若い患者に対応できていない、とんでもない病院に案内されてしまったのだ。
認知症検査があったり、入浴はずっと自立できずに看護師2名に付き添ってもらったり。(急性期病院Kではシャワー自立だった)
PTや看護師を通して医師に希望を言っても、医師がそれを受け入れなかった。
そこの医師があまりに慎重すぎる性格だったのだろう。あれはストレスだったな〜。
退院後、外来でリハビリ病院へ通うべきだった
私は、骨切り手術後、抜釘手術後、の退院後にリハビリに通っていない事をPTに言うと「信じられない」と言われた。
手術で筋肉を切ったりしている場合は特にリハビリは通ったほうがいいと。
病院によって、手術さえ終われば退院を促され、医師からの配慮がなければ、患者任せなのだ。
自分はリハビリは通った方がいいのか?必要ないのか?とかそういう情報も医師に自分から聞いたりするべきだった。
でも、それでリハビリ病院を見つけて、通ったとしてもPT※の能力にも大きな開きがある事もある。
筋力トレーニングが延々と励行されるような手法の病院やPTもいるので、おかしいな?こんなに痛いのに続けるの?などおかしいと思ったら、PTを変えてもらったり、病院を替えるのも自分で考えていかないといけない。
最後に
結局何が言いたいかというと、自分で考えて行動しなかったからここまで長引いてしまったのではないか?と。
医師は何十人もの患者を抱えていて、我々が期待しているほど個々の深いところまで理解するには限界がある。
何百回と執刀していても、全身麻酔をして手術する側を経験した医師はほぼいない。
どれだけ痛いか、どれだけ辛いか、共感はできても、実体験までしてない。
だから辛いなら自分から話して、行動していかないといけない。
自分の身体の声を聞いてくれる、一番の理解者は、自分自身しかいない!
・
後悔をバーっと書いてみたが、計4つ病院に入院したことで色々な違いを見てきて、経験も豊富になった。良かった(と、ポジティブに思うしかない笑)
今後、自分や身近な人が病気や怪我で困ったときに助けになれるのが一番だ。
痛めの留学したようなもんだよな。二度と留学したくないけど(笑)そしてまだ終わってないけど…。
今入院中で、明後日退院です。
次の日記「人工股関節について」
開放骨折=骨折した際に皮膚が破れて骨が外に露出する状態
雑菌による感染症を引き起こすリスクが懸念されるため、速やかな治療が求められる
PT=理学療法士、国家資格を持った動作の専門家
]]>
人工股関節手術当日から2日めまで
http://marin624.exblog.jp/32802810/
2022-09-08T19:24:00+09:00
2022-09-10T07:41:23+09:00
2022-09-07T18:18:22+09:00
picnic_marin
2019-2022 骨折日記
はじめて読む方は「骨折日記はじめに」からどうぞ。骨折患者の方、どうぞお気軽にコメントください。
前回の日記「私の大腿骨の治療歴」
ブログ書けるぐらい元気になりました。
手術は今回でもう7回目なんですが、記録として簡潔に書いていきます。
手術当日
手術までは毎度ながら、空腹、水が飲めない、そして緊張・不安が覆ってくる。
ブログを書くことで気を紛らわして過ごした。
16時にオペ室に入ると穏やかな音楽が流れており、
酸素マスクを口にあてられ、点滴から麻酔薬を注入され意識がなくなる。
・
名前を呼ばれて起きると、麻酔中に喉の奥まで突っ込まれてた人工呼吸の管の感じがまだ残ってて喉が痛い。
少しハイになっているせいで、医師や看護師に沢山喋ってしまう。
手術時間は1時間45分の予定だったが、1時間ちょっとで終わったらしい。
この病院では手術中に出血した自分の血を綺麗にして、術後に輸血する。私は400ccくらい出て、手術後に輸血された。
オペ室から病室のベットに戻ると、麻酔で眠いのですぐに寝て、起きると一気にくる痛み。
手術した足が激痛で、石のように重く感じる。でも腰が痛いからなんとか寝返りをしたい。あ、尿道カテーテル※付いてるんだったと気が付き邪魔くさいなぁ、と気が重くなる。
手術後は容態が不安定なので夜中でも2時間ごとに、体温、血圧、酸素濃度を測りに看護師がくるので眠っては起こされてあまり眠れなかい。
私の場合、2年9ヶ月かけて少しずつ縮んでしまった4cm弱の脚長差を、今回の手術で同じ足の長さになるよう一気に伸ばしている。
骨周りの軟部組織※がこんな感じでびっくりしちゃって、張っているから他の人工股関節手術した人よりは痛いらしい。
手術翌日
1日ぶりの楽しみにしていた朝食も、上半身を起き上がっただけで目まいがして、1/3くらい食べて、気持ち悪い、もう横になりたいって感じだった。
それでも午後には離床※を希望し、尿道カテーテルと点滴も外してもらう。やはり身体から管が取れると一気にストレスが減る。
今回の3倍の管を10日間も付けてた最初の入院って、そりゃ大変だったな…と懐かしくなる。
トイレには看護師と歩行器で行くが、激痛。
痛すぎて疲労して、ベットに戻る時には、もーくたくた…という感じ。
PT※が来てから、歩行器は使いづらいから松葉杖に変えて欲しいと伝え、松葉杖自立に。
リハビリはほぐしてもらうだけで終わった。
とにかくこの日は患部が痛くて、カタツムリのような歩みでトイレまで行って疲れて眠って。それだけで1日が過ぎた。
Netflixのために大容量のポケットWifiレンタルしたが、映画どころではない。
こんなんで来週から仕事(在宅勤務)できんの?というか自宅に帰れるの?と心配だった。
夜には少しは安定して、食事も完食。
ちなみに今の病院は、普通に美味しい。カレーが一番美味しかった。
私はベッドが変わると不眠になるため、心療内科処方の眠剤を持っている。
手術当日は、患者の症状を把握できなくなることから眠剤は禁止だったが、この日は眠剤が飲めたからか深く眠れた。
手術から2日目、すごい安定感である
朝、トイレに行くと
「あれ?足がそこまで痛くない?!」
昨日は激痛だったのが、だいぶ痛みが減った。カタツムリからナマケモノくらいになれた感じだ。
リハビリでは、片松葉杖で歩いてリハビリ室まで行き、帰りは階段も自分で登って病室に帰った。
昨日は足を動かすだけで痛かったのにすごい回復。
まだ患部が腫れていて、軟部組織が張っているのでわかりづらいが、ハンソンピン、骨切りの時とは明らかに違う感覚で、全体重をかけても壊れなそうな、確かなどっしりとした安定感がある。
座ったら壊れそうなテーブルから、座ってもびくともしないテーブルに買い替えた感じ。
これは本当にすごいな。人工股関節ってこんな頑丈なんだ…という感想だ。
次の日記「振り返って思うこと色々」
尿道カテーテル=尿を排出させるためのチューブのこと。自動的に膀胱から別のタンクへ流れていくため、これを付けていると尿意そのものが無くなる。トイレに行けない状態の患者がつけるもの。
軟部組織=臓器系、骨、皮膚を除いた組織で筋肉、結合組織(腱)、脂肪、血管、リンパ管、関節、神経などが含まれる。
離床=ベッドから起き上がって床を離れること。ベッドで療養していた人が、快方に向かったために徐々にベッドを離れて生活の範囲を広げていくこと。
PT=理学療法士
]]>
私の大腿骨の治療歴
http://marin624.exblog.jp/32800965/
2022-09-05T13:44:00+09:00
2022-09-08T16:10:28+09:00
2022-09-05T13:44:56+09:00
picnic_marin
2019-2022 骨折日記
前回の日記「私の骨折仲間の紹介」
レントゲンと共に今までの治療をまとめてみた
大腿骨の骨接合術って、今のところ4つあるらしい。細かくいうともっと細分化されるらしいけど。
DHS、γ-Nail、ハンソンピン、人工骨頭置換術。
私はγ-Nail以外は全部、経験(涙)
大腿骨治療していて不安な方や、医療関係の方の参考になればと全てのレントゲンをお見せします。
それでは事故直後から行ってみよう。
2019年12月 事故当日から2日後撮影
(最初気づかれなかったため)
2019年12月 手術直後(ハンソンピン)
下にむいていた骨頭を立てているのがわかる
2020年2月 (大腿骨変形治癒骨折)
骨頭が中に入り込んで、くびれている部分が無くなったのがわかる
入院中、全荷重をかけたリハビリによる骨頭萎縮で、飛び出たピンが大腿筋膜張筋に擦れて激痛だったな。
2020年10月(DHS・外反骨切り術)
詳しい説明の日記 こちら
2021年10月 (抜釘手術後)
2022年7月 (外傷性大腿骨壊死)
完全に潰れているのがわかる。
2022年9月 人工股関節全置換術、前方進入法
次の日記「手術当日〜2日めまで」
]]>
骨折仲間の紹介
http://marin624.exblog.jp/32800746/
2022-09-05T11:11:00+09:00
2022-09-07T17:15:55+09:00
2022-09-05T08:02:03+09:00
picnic_marin
2019-2022 骨折日記
はじめて読む方は「骨折日記はじめに」からどうぞ。骨折患者の方、どうぞお気軽にコメントください。
前回の日記「セカンドピニオン」の続きです。
現在入院中、病院で書いています。数時間後手術!
入院直前に骨折仲間と
大腿骨だけで4回め、腓骨脛骨入れて合計で今回は7回めの手術になるが、何度やっても手術は慣れない。
入院直前というのは、もう死ぬんじゃないんだろうかとか、ついつい考えてしまうもの。
最後に「美味しいもの食べたいな。」と思ったのと、人工関節手術を経験している友達カジさんの話を聞きたいのもあって、めーちゃんの店へ。
(めー登場の過去日記 骨折2日め と 骨折21日め)
カジさんは以前からの呑み友達だが、彼が人工関節だとは全く知らなかった。(それくらい動きが自然だった)
私が壊死してから、大丈夫かと教えてくれて知った。
若い人で人工関節にしている人は珍しく、貴重な話や情報を教えてくれた。
F病院をおすすめしてくれたのもカジさんだ。
彼の場合は、小学生の時に高い所から落ちて大腿骨を骨折。
その後、普通に生活していたが20代で痛くなり、骨切り術で癒合。
しかし、40代で壊死がわかってF病院で人工股関節手術を受けたそう。今はマラソンしたりも普通にできるぐらい元気だ。
めーちゃんのお店は自然派ワインの美味しいお店。
そんなこんなで楽しく呑んで、なぜかカジさんとキョンキョンにご馳走になってしまい、タクシーで2人に送ってもらってブルジョワ帰宅という、誠に申し訳ない入院前日となった。
でも、おかげでカラッとした気持ちで入院を迎えられた。
応援してくれる人がいて嬉しいし、普通に歩いているカジさんを見て勇気がでた。
快気祝いで焼肉屋に行く約束をしたので、治って美味しい焼肉を食べるのだ。
お気に入り骨折ブログの紹介
こちらは参考にしている骨折ブログです。
自分と似ていた大腿骨骨折や、下肢骨折の方ばかりですが、どれも読みやすいものを抜粋しました。
入院中で暇な方、是非読んでみてくださいね!
またチキン食ってる 〜35歳関西人アメリカ2年生絵日記〜
アメリカへ移住して1ヶ月めで、お義父さんのDIYを見学中、木製のデッキが倒れてきて腓骨と足首を骨折。
3箇所も折れているのに手術が12日後で自宅で激痛で待機。そして手術当日に帰宅…?!
アメリカの医療は根本的に全然違くて、そこも面白いですが、彼女自身と旦那さんの描くイラスト満載でポップに見れる骨折日記です。
交通事故に遭った私の骨折日記と色々
青信号を普通に渡っていたら、トラックに轢かれ、左足首、左肘、左膝3箇所の骨折(肘が開放骨折)。
生後2ヶ月の赤ちゃんがいらっしゃる中での闘病生活を描いており、入院生活を写真と共に読みやすく書いています。便利なグッズなども参考になります。栄養士の資格を持つ方なのでお料理もとても美味しそう。
家で転んで大腿骨骨折した話
タイトルそのままなのですが、40代の方で自宅で大腿骨頸部を骨折。
私が最初された処置と同じ、ピン固定の方です。
入院8日目で手術、46日間の入院生活が細かく書かれていて、大腿骨骨折の方は参考になると思います。
DIYと旅行の日記も素敵です。
40代大腿骨頸部骨折〜人工股関節のブログ〜
スケートをしている時に転倒して大腿骨頸部骨折。
最初接合手術をして、1年後に壊死して人工股関節手術。
40代女性で、骨折からの壊死、私と似ているのでとても参考になりました。
つづき「私の大腿骨治療歴」へ
]]>
セカンドピニオン
http://marin624.exblog.jp/32800142/
2022-09-04T20:06:00+09:00
2022-09-08T20:40:04+09:00
2022-09-04T18:30:16+09:00
picnic_marin
2019-2022 骨折日記
はじめて読む方は「骨折日記はじめに」からどうぞ。骨折患者の方、どうぞお気軽にコメントください。
「ついに大腿骨が壊死」の続き。
今回は、下肢骨折以外の方見ても、むずかしい内容の記事かもしれません。
母に薦められ、セカンドピニオンへ
母が「F病院へセカンドピニオンに行って欲しい。今の病院は何回手術させるのよ、信用できない。」と言う。
F病院というのは、地元の千葉では評判の良い整形外科病院で私も怪我した幼少の頃、リハビリでお世話になった。
大腿骨は壊死したら、人工関節に切り替えるしか手段はない。
だから今更セカンドピニオンしてもどうしようもないし、もう手術日も決めているし、面倒くさいなーとしか思ってなかった。
しかし、友達のカジさんが(次の日記に登場)そのF病院をおすすめしていたのと、人工股関節手術では症例数は日本で一番で、国内で初めて筋組織を切離せずに行う前方進入法(DAA)を採用した病院らしい。
うーん、意見だけでも聞きに行くのはよいかも…?
今の主治医に申し訳ない気がしたが、紹介状を書いてもらい、質問をまとめて向かった。
結果、セカンドピニオンは行って本当によかった。
主治医以外の考え方を聞くのはとても大事だったのだ。手術もF病院ですることに。
セカンドピニオンでQ&A
※あくまでも要約して書いてます
ー こちらの病院では沢山の人工股関節手術をされていますが、私と似た症例の方はいますか?同じように骨切り術後、壊死してしまってって方はもちろんいます。
ー 他の切替え術より、私の場合は難しい手術になるのでしょうか?過去3回も手術されているので、軟部組織が癒着しているかと思います。なので一般的な切り替え手術よりは確かに難しいと予想されます。
ー 人工股関節切替後、再度痛くなる可能性はありますか?術後の傷口が痛いというのはありますが、骨や人工関節のせいで痛くなることはありません。(ものすごいきっぱり言ってた)
まりんさんの場合は4cm短くなった分伸ばしますが、筋力や血管なども急に伸ばすので最初のうちはつっぱって痛いかもしれません。
ー 20年後、新しい人工股関節へ入れ替える際、骨や軟部組織が癒着して剥がすの大変なのでは?大丈夫なんでしょうか?私が一年前にやった釘抜手術ではプレートに骨がくっついていて、取り出すとき大変だったらしいし、術後すごい痛かったです。たった2年でこれだから20年なんてどうなるんでしょうか。
まず現在は30年以上の耐久性があります。そして入れ替えるとしても、頭の部分のみです。(多分、下画像のソケット)それ以外は一生そのままで取り外す必要はありませんから、骨と一体になっても問題ないわけです。まりんさんが腓骨脛骨に入れていたプレートは、骨癒合するまで、支えるための一時的なものですが、人工股関節は一時的なものではないので、そもそも役割が違います。
出典元 : あゆみ中央病院HP
私の痛かった3年間って…
ー 約3年間、辛かったのであくまで意見として聞きますが、もし先生ならどの段階で人工関節手術にしていましたか?
事故直後に人工股関節に切り替えています。まりんさんの大腿骨頸部骨折は、最初の時点でかなりズレていますので、若い方ですが壊死する可能性が高いと判断します。しかし、病院の方針や考え方がそれぞれありますので、その先生が悪いわけではありません。うちの病院は人工股関節手術を得意としているので、そう選択します。
(事故直後の大腿骨のレントゲン)
…愕然とした。私はなんて、遠回りをしてきたのだ。
前の主治医は最初のレントゲンを見た時点で、この程度の骨折ならなんとか自骨でいけると判断した。
言い方が悪いが、経験が少ないことで、そこまで予想ができなかったということなのか?
事故直後に、人工関節に切り替えて欲しかった。
この約3年間の間どれだけ痛かったか。
自由に歩けない我慢がどれほどあったか。
なんかもう、脱力感しかなかった。
医師の考え方はいろいろ
セカンドピニオンの医師が言っているように、前の主治医は私の足をどうにか治すために、色々提案しては何度も手術してくれた。
ものすごい感謝している。
ちなみに医師一人で考えるということはほとんどないらしく、病院側はチームでどうしていくか?というのを考えていくそう。
ほんとに勝手な想像だが、私の前の病院は大学病院だったので、挑戦してみよう。という方針だったのかもしれない。
自骨でなんとか耐えてくれたら…とその可能性にかけてくれていたのかもしれない。
決して医師が間違えた判断をしたわけではない、ただ患者の私は辛い三年間だった。
リハビリ病院の医師も悪くなかった
私は以前の日記でも書いている通り、リハビリ病院で間違えた荷重制限により大腿骨頸部が萎縮したとばっかり思っていた。
その件も、セカンドピニオンの医師に聞いたら
ピン固定は普通なら、全荷重制限かけていいものなので、通常ならそれは教科書通り。医師が間違えていたということはないです。
まりんさんの大腿骨は、そもそもがひどい折れ方をしているので、ピン固定では固定できなかったってことです。
え、そうだったの…。
そうすると荷重をかけてはいけないという事を、リハビリ病院に伝えなかった主治医側の問題?え?
…もう、よくわからない。
医師というのは、最善の選択をしてもうまくいかなければ、恨まれてしまう。
本当に責任がある大変な職業なんだなとつくづく思う。
過去を見ないで前を!結果よければ全て良し!
・・・とここまで色々と書いたが、後ろをずっと見ていては仕方がないわけで。
結果的に、私は普通に歩けるようになれば、もうなんでもいいのだ。
どの病院も、どの先生も、理学療法士も、みんな応援してくれていた事実に間違えない。
すべてに感謝、もうそれでいい。
今は明日の手術を耐えて、乗り切って、楽しく生きる!それだけだ。
「骨折仲間の紹介」へ続く!
]]>
ついに大腿骨壊死が発覚
http://marin624.exblog.jp/32800095/
2022-09-04T17:40:00+09:00
2022-09-08T20:39:06+09:00
2022-09-04T17:40:24+09:00
picnic_marin
2019-2022 骨折日記
はじめて読む方は「骨折日記はじめに」からどうぞ。骨折患者の方、どうぞお気軽にコメントください。
約1年ぶりの骨折日記!
病院から更新してます。明日手術です。
またもや松葉杖ライフ
事故から2年と7ヶ月めの診察で、大腿骨頸部の壊死が判明した。
更に骨が縦に割れていた。これ以上折れないように両松葉杖生活に逆戻り。
…というか痛いので松葉杖でないと、もう歩けない。
全免荷ではないのでそこまで大変ではないが、荷物は持てないし、まあ不便である。
カレー屋さんの荷物かけに松葉杖がぴったり
脚長差は、なんと4.5cm
まずは現在の大腿骨のレントゲン写真から。
左が正常、右が壊死している。
頸部が潰れ、更に縦に割れてしまっている。
萎縮して脚は4.5cmも短い。
↓こちらは下肢全体。
当たり前ながら両足を下にぴったりつけると、骨盤全体が傾いてしまうのがわかる。
たまに、ふと自分の足を眺めると
「うわっすごい差だな・・・」とギョっとする。
骨切り手術後は1.5cmだったのに、だんだん潰れていって短くなったというわけだ。
壊死と聞いたとき
半年ぶりの診察。2022年7月だった。
レントゲンを撮って、診察室に入ると主治医が本当に残念そうに座っていた。
「壊死…しています。」と一言。
私はショックというより
「骨切り手術した意味って?抜釘をした意味ってなんだったんだろう。」
もう、人ごとのように思った。
今までの何回もの辛い手術が全て無駄だったのか…と呆れた気持ちにだった。
私のように大腿骨骨折後、結局壊死する人って、すごく多い。
ブログで読んだことある人も、8年後に壊死とか。
身近な私の友達でも、小学生の時に大腿骨骨折して、20代で骨切り手術、40代で壊死して人工関節にした人もいる。
骨折してから、ずっと約3年間、体重をかける度に痛い。
それが解放されるなら、逆に早く壊死してくれて良かったよ。と思う。
これで歩けるようになれるなら、と。
そして、すぐに手術日することに決めた。
「セカンドピニオン」へ続く
]]>
抜釘手術から1ヶ月
http://marin624.exblog.jp/32516020/
2022-09-04T14:50:00+09:00
2022-09-05T11:30:29+09:00
2021-12-09T00:04:01+09:00
picnic_marin
2019-2022 骨折日記
はじめて読む方は「骨折日記はじめに」からどうぞ。骨折患者の方、どうぞお気軽にコメントください。
前回の記事 釘手術から一週間
※抜釘から1ヶ月めに書いたものです。(下書きだけして公開し忘れていました汗)
抜釘手術から1ヶ月
今は、松葉杖ではなく、ロフストランド杖。
少しの距離だったら、ロフストランド杖を持っていなくても歩けるように。
例えばスーパーへ買い物へ行くときは、
自転車で入口近くまで行き、買い物カートにもたれながら買い物をしている。
手術後2週間はどうなる事かと思ったが、3週間入ってから、一気にラクになった。
それまでは何をするにも痛かった。
人間って「痛すぎて、疲れる」っていう感覚がある。これを今回、強く思い出した。
栄養あるものを食べないといけないと思い、料理を頑張るが、動く度に強い痛みを伴う。
こんな簡単な食事を用意するだけで本当参ってしまい。
台所で息切れして疲れてぐったりしていた。
なので3週間が過ぎるまでは、レトルトとか冷凍食品、お弁当や簡単な外食で済ませることが多かった。
こうゆうご飯ばかりじゃ胃も疲れるし、生活習慣病にもなりそう。
損傷した身体を取り戻さなくてはならないのに。
だからご高齢の方はリハビリ病院にいくのだろうな。とつくづく感じた。
最近やっと、足の腫れが少し落ち着き、自分らしい生活に戻りつつある。
抜釘は、事故後を早送りで再体験するような感じ
下肢は腱の近くの筋肉や、全体に繋がっている筋肉も切る。
抜釘といえ、めちゃくちゃ痛かった。
二度と味わいたくない事故後を早送りで再体験するような感じだったな・・・正直思う。
1ヶ月経った今でも、うーんしなくてよかったかも?と思う。
私の今の仕事が在宅勤務なので、本当によかった。
あの痛さで出勤とかマジであり得ない。
抜釘する人は、生活環境をよく考えて決めたほうがいい。
(とはいえ、その方の手術によるのでなんとも言えません。私は大腿骨と腓骨脛骨の同時の抜釘なので、10本以上の太いネジや大きなプレートを抜いた)
傷だらけの足だけど
前回の日記で載せた、全体を覆っていた内出血。
何事もなかったように消えていった。
私の足は傷だらけなので、特殊メイクみたい!と面白く思うが、不思議とこの足が嫌いではない。
主治医が目を凝らして綺麗に縫ってくれたんだと思うと、本当に涙が出るくらいありがたい。
足が無くなっていてもおかしく無い事故だったので、今、足が存在しているだけでありがたい。
手術でズタズダに何度切っても、回復する私の足。マジでスゴイ、讃えたい気持ちだ。
下肢の大事故に遭って、今絶望しながら読んでいる方、傷はとにかく治る。問題は骨だ。
抜釘後に撮ったレントゲン。
左が腓骨脛骨、右は大腿骨を真横から撮ったもの
穴はネジで止めていたところ。
一応抜釘後は重いもの持ったり、荷重をかけ過ぎないように言われている。
抜釘3週間めで泳げる
術後3週間後くらいから楽になり、区民プールで歩いたり、泳いだりしている。
継続したいので、たった20〜30分だけ。
水の中は負荷がかからないから、痛くないし、最初は固まっていた足首がほぐれていくのが嬉しい。
手術で血管などを損傷しているので、(血管=道と例えると)今は足の中で道路渋滞が起きている状態。
だからぱんぱんに足が浮腫むのだ。
血流を良くするために一番良いのは、足首を動かすこと。
プールの後は血が流れているからか浮腫が軽減されている気がする。
続きへ「ついに大腿骨壊死が発覚」
]]>
抜釘手術から一週間
http://marin624.exblog.jp/32496780/
2021-11-19T00:27:00+09:00
2021-11-22T19:06:21+09:00
2021-11-19T00:27:41+09:00
picnic_marin
2019-2021 骨折日記
はじめて読む方は「骨折日記はじめに」からどうぞ。骨折患者の方、どうぞお気軽にコメントください。
前回の記事「抜釘手術について」
無事、退院。まだまだ不安
退院日は一人で帰る予定だったが、どう考えても無理なので、友達に付き添ってもらった。
病院からタクシーで帰るだけだが、両松葉杖だと荷物を持てないので、ほんとに助かった。友達にスーパーの買い出しも付き合ってもらい、感謝しかない。
家の中では片松葉杖で生活。
料理、ゴミ捨て、洗濯、風呂など、「痛ーい!」と言いながら、いつもの倍以上の時間がかかるが、これは過去2回もやっているので、何とかなる。
何か転けたりトラブルが起こっても、骨はくっついているから安心である。
荷重制限もないので、足はつけるし、両松葉杖でも外の散歩は疲れない。全免荷の時のような大変さはない。
左足がまだまだ動かないので、本当に戻るのか不安だ。
困っている動き(脛骨・腓骨骨折、大腿骨骨折の抜釘後)
①足全体を大きく持ち上げられない
立っていれば、歩くために足を前に持ってくる動きはできる。しかし、座っている・寝ている状態で上にあげる動きはあまり良くない。寝返りしたい時、座っていて立ち上がる時、歩いていて床に障害物がある時…など、地味に困る。
②ヒザが安定しない
手術でヒザ下を切られたのは、かなりのダメージ。ヒザが、ガクガクしてゆるく、安定しないのだ。延びきってしまったり、ガクン、と思わず曲がってしまったり。
③足首の動きが硬い
足首周りも3箇所切っているので、滑らかな足首の動きができなくなる。歩く時につっかえる。
リハビリはもう終わってるので、過去、PTに教えてもらったリハビリを、自分で実施して、筋力を戻していくしかなさそう。
ここ最近、足のためにやっていること
タオルギャザー
足首を円を描くように回してる
在宅勤務後、20分くらい毎日歩く(両松葉杖で)
手でマッサージ
毎日湯船に浸かる
こんくらいしかやっていない…。うーん、大丈夫なのか。汗
※ 観覧注意 ここから傷跡の写真を載せています。ご注意ください。
抜釘後一週間の手術痕。内出血がすごい。
私と同じ脛骨・腓骨骨折の方々の抜釘後の写真を拝見しても、ここまで内出血がある人はなかなかいない。
必ず消えるものなので、心配要らないのだが、すごいよな。抜釘手術中、なかなか金属プレートが骨から抜けなかったのだろうか。
内出血って重力で落ちてくるそうで、日々、場所が変わっていくのが、なんか見てて面白かったりする。
違う角度から見ると内出血は全然ない。
そんな感じで、また報告します。
]]>
抜釘手術について(※観覧注意)
http://marin624.exblog.jp/32492708/
2021-11-14T20:07:00+09:00
2021-11-20T23:29:56+09:00
2021-11-14T20:07:02+09:00
picnic_marin
2019-2021 骨折日記
はじめて読む方は「骨折日記はじめに」からどうぞ。骨折患者の方、どうぞお気軽にコメントください。
「抜釘手術って痛い」のつづき。
抜釘手術って、どうやって金属を抜くの?
【脛骨・腓骨(スネ)】
ネジが止めてある箇所の軟部組織を切って、電動ドライバーでネジを緩め、ヒザ下を切って、ひっぱって抜く。整形の手術室ってトンカチで叩く音やドリルの音が響いているそう。DIY と同じなのだろうな。
【大腿骨(こかんせつ)】
私の場合、一番最初の手術ではピン固定だった。
しかし偽関節になったので、再手術して今のプレートを入れ直している。
その時のオペで20cmくらいの長い傷ができて、今回の抜釘でまた同じところを切った。
こんな風に金属プレートが入っていた。左 : 脛骨・腓骨(スネ) 右 : 大腿骨(股関節)
身体の一部だった金属プレート
手術を担当した看護師が「記念にどうぞ」と持ってきた。
左が脛骨腓骨(スネ)の隋内(骨の中)に1年11ヶ月、
右が大腿骨(股関節)の横に11ヶ月、折れた骨を支えてくれた。
脛骨に入っていたチタンプレートは、2年間も隋内にいたので、一体化して骨がくっついてなかなか取れなかったらしい。
白いのが私の骨。ちょっとアミアミになっる部分もあり、へー骨ってこうやって作られてるんだなーと感動。
金属プレートに、軟部組織や骨が一体化しようとしているのを、抜釘の際、全部剥がすのだと思う。
大腿骨に入っていた金属プレートは、この上の太い部分が大腿骨頸部の中に入っていた。入れる時の手術はトンカチで叩いて骨に刺していくのだろう。
こんな太い金属を骨の中に入れても割れないなんて…信じられない。大腿骨って、すごい丈夫なんだな。そして、それが折れたって事は事故の際、相当な衝撃だったのだろうなと思った。
このプレートがなかなか無くて探し回ったそうです、と看護師に聞いた。
骨切り術は珍しいので「(先生(主治医の)は色々と悩んだ上で提案されたと思います。」と別の先生からも聞いていた。一時は偽関節になり途方に暮れたが、今のところ骨壊死はなく、大腿骨はくっついた。主治医には、本当に感謝しかない。
※ 観覧注意 ここから傷跡の写真を載せています。ご注意ください。
手術跡
こちらが手術後4日目の状態(2021年11月13日)
わかりやすいように、抜いた金属プレートを近くに置いた。
左が脛骨腓骨(スネ)、右が大腿骨(こかんせつ)。
傷は溶ける糸で縫ってあり、上にテープが貼ってある。ゾンビばりにグロテスクである。内出血は消えるし、縫って凸凹しているのも案外早く平らになる(事故の傷ではなく、手術の傷なので回復が早い)
それにしても内出血がすごい。金属プレートが身体の組織になって、なかなか取れなくて大変だったんだろうな、と思った。
最初の包帯を取った時、え、ギプスついてる?って思ったくらい包帯に血がついて硬くなっていた。ダメージが大きいよ、痛いもの。
明日、退院だけど
まさか退院時に、両松葉杖で帰ることになるとは思わなかったので、家にある松葉杖を持って来なかった。完全に抜釘を甘く見ていた。松葉杖は病院からレンタルすることに。
左足は持ち上がらないままだし、足のヒザも完全に曲がらないしで、一人暮らしの私としては普通に生活できるのか、正直不安である。入院をもう1週間くらい多めにみておけばよかった。
ただ、本当にヤバかったら医師が言ってくるだろう。
そこはやはり骨がくっついているから、なんとかなるんだと思う。
普通に生活する事が、一番のリハビリになるのはよく知っている。
明日からがんばるぞ〜。
「抜釘手術から一週間」へつづく
]]>
抜釘手術って痛い
http://marin624.exblog.jp/32491075/
2021-11-14T19:27:00+09:00
2021-11-15T11:34:38+09:00
2021-11-13T08:02:05+09:00
picnic_marin
2019-2021 骨折日記
はじめて読む方は「骨折日記はじめに」からどうぞ。骨折患者の方、どうぞお気軽にコメントくださいね。
前回「骨折から1年11ヶ月」のつづきです。
抜釘を完全になめていた
看護師「終わりましたよ〜」
その声で手術室で目を覚ました。
私「今何時ですか?」と尋ねる。
3時間の手術だった。
へー、抜くだけなのに、ずいぶんかかるんだなぁと呑気に思ってたら、猛烈な痛さが染み込んできた。
事故直後の痛みが10だったら、9レベルの激痛。
一番強い痛み止めである麻薬※を入れてもらっても、全然おさまらない。
主治医に死にそうな声で「ありがとうございました」と言うが声が出ない。
看護師「◯◯先生、ありがとうございました、って言ってますよ〜!」と伝えてくれた。
主治医「はいはーい、頑張ってネー!」
HCUへガラガラと運ばれていく。揺れが痛みに響く。
左足を動そうとしたら「え、動かない…?」
こんなの事故直後とまさに同じではないか。こんな状況になるなら抜釘しなきゃよかった…と後悔しかなかった。
抜釘だし大したことないだろう、と思っている自分が甘かった。
手術当日はHCU※に泊まった。
麻薬=病院では普通に「麻薬入れまーす」と話す
軟部組織=腱、靭帯、筋膜、皮膚、脂肪組織などの骨組織を除く結合組織すべて
HCU=集中治療室(ICU)と一般病棟の中間。重症患者を対象とした部屋。
離床=ベッド上で生活していた人が、徐々に床(ベッド)から離れて生活機能・範囲を拡大すること
自ら離床したいと宣言
翌日、一般病室に戻る。
痛みに疲れ果て、丸2日間はぐったり眠り続けた。足が腫れ上がっているから、その熱で身体中熱い。
映画観るの楽しみにしていたのに、スタバのインスタントコーヒーも持ってきたのに…全くそれどころではなく。
まさしく事故直後と同じだ。スマホを見ると、めまいがして気持ち悪くなった。これも懐かしい現象だった。
しかし、一週間の入院と決めており、仕事があるので、たらたら休んでられん…!!
看護師に「離床したいので導尿カテーテル取ってください」と自ら言う。(ベット上の自動トイレを終わらせ、自分の力でトイレに行きます、という意味)
何をするにも「痛ーい!!」と叫んでる私を見て「本当に大丈夫ですか?自分でトイレにいかなきゃならないんですよ?」と言われるが、もう入院生活も三度め。無駄に入院プロである。
骨はくっついているので、痛くてもさっさと離床し、自立しないと退院まで間に合わない。
尿道カテーテルは、勝手におしっこが出てくれるのでほんと楽だが、人をダメにするので、断ち切れるならさっさと終わらせないと。(※症状による。私は骨折してないから)
離床後、ファーストステップである移動がやっぱり痛いのだった。
【ベッド→車椅子→トイレ便座→車椅子→ベッド】
ここまで書くと、抜釘しない方がいいじゃん!!!と思うかもしれない。
しかし、抜釘したほとんどの骨折者は「抜釘して良かった」と思うらしい。
術後一週間である今の私は、正直デメリットしか感じていないが、深めの靴を履いた時の変な痛みや、左に向いて眠る時に違和感がなくなったらいいな、と思っている。
つづく 「抜釘手術について」へ。
]]>
骨折から1年11ヶ月
http://marin624.exblog.jp/32487812/
2021-11-10T12:11:00+09:00
2021-11-17T00:40:13+09:00
2021-11-09T18:33:49+09:00
picnic_marin
2019-2021 骨折日記
はじめて読む方は「骨折日記はじめに」からどうぞ。骨折患者の方、どうぞお気軽にコメントくださいね。
前の記事「骨折から1年6ヶ月」
お久しぶりです。在宅勤務を理由に、日に日にまん丸くなっている私ですが、猫たちとなんとか元気でやっています。
足はどうかというと、まだ変な歩き方をしている。
骨がくっついた後は、人それぞれの環境や、本人の努力次第だと思う。
私の場合、在宅勤務で歩かない環境で、自主的なリハビリや筋トレをサボってしていないのが大きいかな…涙
動作で困ること
【立った状態で靴下・靴を履く時】
右足の靴下を履く際、(骨折した)左足だけで全体重をささえてバランスをとるのが大変。
左足の靴下を履く際も、左足の筋力がないので高く上げられず、履きづらい…。
でも、それをぽっちゃりの友人に相談したら…。
細かい事は気にしなくていいと思った。
【長時間の歩行】
冒頭に書いた通り、未だ普通に歩けず。
私は大腿骨頸部の骨折後、金属プレートを入れるが(ピン固定)、大腿骨が萎縮してくっつかなかった(腿骨変形治癒骨折)ため、大腿骨を横に切って角度を変える手術(骨切り術)をやっている。
そのため、左足が2cm足が短い。詳しくはこちら(過去日記)へ
イラストはちょっと大袈裟だが、こんな感じ。だから歩く時は左右に揺れる。バランスを取るために首や腰でカバーするから、長時間歩いてると辛くなる。
でも在宅勤務で歩かないのが一番大きな原因かな。筋力があれば、骨に筋肉布団を履かせた感じで、歩き方を結構カバーできると思う。
今回の抜釘手術が終わって落ち着いたら、もっと自転車に乗ったり、筋トレがんばろうと思う。
ちなみに、走る事はまだまだできない。大腿骨にガンっと荷重がかかるのが痛い。
そんな感じでいろいろ不完全。でも、いろんな人に会えて、行きたい場所には行ける。
今はこれができるだけで、本当にありがたい。
骨折から1年11ヶ月
さて、昨日から入院しています。
後30分後に、抜釘(ばってい)手術です!
私の場合、遠回りして、ほんと、やっとここまできた〜、という感じ。
抜釘手術はしてもしなくても良い手術なので、コロナ禍で医療が頻拍している時期には申し出なかったが、コロナが一旦落ち着いたので入院できた。
抜釘手術しなくてもいいのに、なぜするのかというと…
①寒いから
金属プレートのせいか、左足だけ冷えて辛い。
②当たっていて、たまに痛い
私の場合は靴によって、腓骨に入ったプレートがくるぶしに当たって痛い。違和感を感じる。
③単純に金属が体内に入ってるのがなんか嫌
人それぞれの考え方なので、違和感がなければ、一生入れたままの人は多い。全身麻酔して、皮膚・軟部組織を切って、骨からプレートを取り出すわけなので、まー大掛かりなことだ。
今回の持ち物
一年前に書いた自分の記事 骨折プロによる「入院時に必要な物」が、我ながら大変役に立った。
今回の病院のご飯は、美味しいと知っているので、調味料系は何も持ってこなかった。でもやっぱりご飯だけがとにかく多い!ので、梅干しとかふりかけは持ってくれば良かったなぁ、と後悔。
唯一持ってきた食べ物ものといえば、クッキーとインスタントコーヒー(病棟に熱湯があるのを知っているので)
入院中はストレスが多いので、自分のテンションが少しでも上がるよう、スタバのちょっといいやつを買った。
前回の入院と同じで、容量無制限のポケットwifiをレンタル。、wifiレンタルどっとこむ ここのはおすすめ。
どこの病院も伝統的な文化なのか、テレビがぼったくり価格である。だったらwifiをレンタルしたほうがよっぽどお得。
手術後の今日はHCUに泊まるらしい。
また元気になったらブログ更新しますね〜
つづき「抜釘手術って痛い」へ
]]>
https://www.excite.co.jp/
https://www.exblog.jp/
https://ssl2.excite.co.jp/